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放射能から子どもたちの命と健康を守るというその1点だけを目的とした会です。群馬県の子どもたちがより健やかに暮らせるよう、みなさんと一緒にできることを考えて実践していきたいと思っています。


by kusakinokai

大人ができること~藤村靖之講演会より

4月1日、高崎市民測定所クラシル主催で、非電化工房の藤村靖之さんの講演会が開催されました。

高崎市民測定所 クラシル

非電化工房


資料をいただいたので紹介させてください。
そして、ぜひぜひ全文をお読みください。

『大人ができること』

  藤村靖之 非電化工房 日本大学工学部教授(工学博士)

2011年3月11日、福島第一原発でレベル7の事故が起きてしまいました。僕は打ちのめされました。原発事故をを危惧し、本気で原発建設に反対してきたつもりだったからです。本気度が足りなかったことにも思い至りました。打ちのめされながらも、放射線量だけは計っていました。この町の子どもたちのことが気がかりだったからです。

はじめは楽観的でした。僕たちが住む栃木県那須町は、原発からは南西の方向に100kmも離れている上に、原発周辺の風は真南や北西に向かって吹いていることがわかっていたからです。ところが、真南に運ばれた放射性物質は、やがて東風に乗ってこちらに向かってきます。北西に運ばれたものも南向きにカーブしてこちらに向かいます。

3月11日に0.05(マイクロシーベルト/時)だった空間放射線量は、0.2、0.4、0.8・・・と日ごとに上がり続けます。土壌表面の放射能汚染度も200(ベクレル/kg)、400、800・・・と急上昇します。この町に永く住む子どもたちの安全を、何もしないでも守れるレベルは超えたと思わざるを得ない亜たちに、やがて至ります。福島市と大差のない放射線量です。チェルノブイリ原発事故後に目の当たりにしたベラルーシの子どもたちの姿と、この町の子どもたちの未来が重なり合って見えるような気分におそわれました。紛れもなく、僕たち大人が引き起こした原発事故で、子どもたちが被害をつけ続けるのは理不尽です。なんとかしないと・・・と考えているうちに気持ちがシャンとなりました。

4月11日、那須町で緊急講習会が開かれました。拾い会場は満員の聴衆で埋まりました。子をもつ親たちの多くが放射能に脅えていたからです。他県への移住を真剣に考えている家族も少なからずいらっしゃいました。生後一ヶ月の乳幼児の母親は、「母乳を介して幼児が放射能汚染する・・・という友人からの忠告に従って授乳を止めているが、ほんとうに授乳してはいけないのか」と涙ながらに訴えてきます。「奇形児が生まれるから結婚はできない」と揶揄された20歳の女性は「ほんとうに結婚できないのか」と涙を流して質問します。突然の放射能汚染に見舞われ、「どうなるかわからない」「どうしていいかわからない」のですから脅えるのは当然のことです。原発に依存しながらも放射能のことがまったく学ばれてこなかった、この国知性のありようをあらためて痛感しました。

だから僕は、「この町は既に低濃度放射能汚染されてしまった。何も対策をしなければ子どもたちの安全を確実に守ることは難しい。勇気を出してそのことを認めよう。そして覚悟を定めよう」と呼びかけてみました。どういう覚悟かというと、「この程度の低濃度汚染であれば、大人の力で子どもの安全を守ることはできる。そのことに徹しよう」という覚悟です。集まった大人の覚悟は速やかに定まったようです。そして、5月9日には住民プロジェクト『那須を希望の砦にしよう』のキックオフ講演会開催に至ります。500人規模の住民プロジェクトがスタートしました。

出し合った何百万円か之お金で放射線測定器をたくさん購入しました。最も信頼度が高いと考えた測定器に統一しました。放射線の測定は、機種によって大きくばらつくからです。疑念が書応じるよおうな測定では対策そのものが非科学的になってついにはざせつしてしまうことを恐れたからでもあります。放射線被曝についての勉強もしっかりとやっていただきます。とかくヒステリックになりがちな住民運動を理性的なものに留めたかったからです。子ども部屋、リビングルーム、家の庭、通学路、公園、校庭、野菜、土、水・・・、計測の講習を受けた人たちが気がかりなところをすべて測定します。最終的には、1000人以上が数十台の計測でいたるところを測定しました。町全体の99%が要対策地域であること、子どもの外部被曝量の約80%は、自宅の室内における被曝であること、室内の放射線量は周囲のbじめんと屋根の上の放射性物質からの放射線が壁と屋根を貫いてきたものが殆どであること・・・、子どもたちの外部被曝状況は隈なく明らかになりました。

そして外部被曝対策に進むのですが、除染の困難さという壁に突き当たります。当初の楽観を戒められて研究を重ねた結果、除染のテクニックも徐々に身につきつつあります。予断は許されませんが、可能性が仄かに見えてきたようです。

野菜や穀物の放射線汚染度も調査し、子どもたちの内部被曝についても分析しました。畑の土壌の汚染度や、土壌から野菜への放射能以降係数も調査し、当地で生産する野菜や穀物の放射能汚染度を下げる研究も始められています。野菜や穀物に含まれる放射性セシウムは1kgあたり37ベクレル、牛乳は10ベクレル以下を守ることを申し合わせ、住民と生産者と行政とが力を合わせて活動を進めています。37や10は「安全の基準」ではなく、「納得の基準」であることは申すまでもありません。

「危険だ、逃げろ!」という意見が主として市民活動をに担っている方から多く寄せられました。「100ミリシーベルト以下は安全だ、気にするな!」という意見が放射線医学の専門家や国から発せられました。日本中が両極端の意見の狭間で翻弄され続けてきたような印象があります。「安全か危険か?」「100ミリシーベルトか1ミリシーベルトか?」といった議論がこの那須でも当初は盛んに行われていました。しかし、議論を続けている間は大人に行動は生まれず、子どもの被曝量は積み重ね羅レル事に気づきました。永久に結論が出ないであろうこの種の議論をしている余裕を僕たちは持ち合わせていません。だから、僕たちはこの種の議論を止めることにしました。公明な学者と企業と政府とが「科学的に証明されていないから原因でない」と論陣を張り被害を徒に拡大してきたこの国の残念な風習は、水俣病や薬害エイズなど枚挙にいとまがありません。その愚をここで繰り返すことに僕たちは反対します。

大人の力で、子どもの安全を守ることがほんとうにできているのか?結果は何年か先にならないとわかりません。子どもたちの被曝障害を完全にゼロにすることは、きっと叶わないことなのでしょう。でも、大人が力を合わせて科学的に努力すれば、努力しただけ、ゼロに近づけることはできると、僕たちは信じています。それが原発事故を起こしてしまった都菜たちの最低の責任だと僕たちは思っています。
by kusakinokai | 2012-04-13 13:14 | 講演会のお知らせ